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今、日本にいる人間として忘れてはいけない、
過去の日本人の痕跡を『夏の祈り』で知っていただけたらと思います。

浦上で被爆した叔母の言葉を思い出す。
「悪いのは兵器では無く戦争だ。もしも少しでも早く日本が原爆を持っていたら、別の国の誰かが私のような思いをしたのかも知れない」
「人間の心はやがて原爆よりもっと怖ろしい兵器を生み出す筈。一番の敵は心」とも。
小さな「ひとの生命」を「ひと」の手で追い詰めてはならない。ましてや戦さなど。

被爆者たちが全身から焼けただれた皮膚をボロ切れのようにたらして「水をください、水をください」と言いながら川に入って行って死んだという、その地獄のような様相は、いま特別養護老人ホームで賛美歌を歌っている被爆老人たちの瞳の奥にも焼きついている。
この映画が、その、やさしく温く、しみじみと見る者の心にしみとおる力によって広く世界に受け容れられることを期待している。

本多シズ子さんが元気そうで本当に良かった。
身を削る想いで、心から平和を祈り、 行動に移されている被爆者の皆さんの姿に涙が出ました。
絶対に後世に語り継いでいかねばならない
そう決意させられるドキュメンタリーでした。

被爆した浦上天主堂をいち早く撤去させたのは米国であったと言う。
彼らの神と、深い皺の掌を合わせる被爆者の神は同じ神なのだろうか。
被爆マリアは人々に何を教えたかったのだろうか。
この映画は、日本人は勿論の事、むしろ米国や諸外国の人に見てもらうべきである。
戦争を生み出す人の心の中の怪物を私は憎み恐れる。

これは祈りに支えられたカトリック者の静かなる「闘い」である。
「祈りの長崎」、この言葉がまぎれもない真実であることを私たちは胸に刻む。

見終わって、そのまますぐに立ち上がれない映画がある。このドキュメンタリーがそうだった。
長崎の「原爆ホーム」で生涯の最後を過ごし、櫛の歯が抜けるように次々と旅立って行くこの人々が、いま何を思い、何を伝えたいのか……。
まさに老体にむち打って子供たちの前で舞台に立つ。そこで絞り出す台詞と演技は、実は台詞でも演技でもない。「あの日」以来70年近く、心身の凄まじい傷とともに染みついた記憶であり、思いそのものなのだ。それを孫のような子たちに伝えて生きた証にしようとする姿に、私の心は揺さぶられるしかなかった。

恵の丘長崎原爆ホームの高齢被爆者を、長崎の被爆問題を、営利を考えずに長期に取材し、作品化し、全国に伝えようとする坂口さんの姿勢は、この25年間、原爆と戦争の実態を全国に伝えようと努力してきた私としては、援軍を得たような気が致しております。
一人でも多くの方にこの映画を観ていただき、被爆の実態を知っていただければと思います。
映画「夏の祈り」にエールを送ります。

ナガサキ以降、どうして世界で核兵器が今日まで実戦使用されることはなかったのか。それは世界唯一の核攻撃被害者である被爆者の怒り、願い、そして祈りが、絶対悪である核兵器の「ボタン」を握る権力者の意図を拘束し、二度と再現されてはならない狂気を封じ込めてきたからに他ならない。聞く者の魂を揺さぶる被爆者の肉声と、辛酸に満ちた過去を背負いながらも、ひた向きに生きてきた姿そのものが、国際社会に「核のタブー」を作り上げてきたのだ。
被爆67年を迎えた今年、被爆者の平均年齢は78歳を超えた。被爆体験の次世代への伝承は切実な課題だ。そしてそれは、唯一の戦争被爆国に課された特別な使命であり、果たし続けなければならない重い責務でもある。
ドキュメンタリー映画「夏の祈り」は、余命幾ばくもない被爆者たちが、そうした使命と責務を全うしようとする生きざまを、地道にかつ真摯に描いている。その描写は時に愚直ですらあり、そのことが核使用のリアリティを観る者の感性に鋭く訴えかける。映画に出演した被爆者の40人以上が既にこの世を去った。時の流れとは冷徹なものだ。しかしそれでも「祈り」を伝承し続けたいし、そうしなくてはならない。だからこそ、一人でも多くの方に観ていただきたい。