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恵の丘長崎原爆ホームについて

 太陽と緑にあふれる恵の丘長崎原爆ホームの創設には一人のカトリックのシスター江角ヤス(※映画「夏の祈り」にも70歳当時の肖像が登場する)の存在を抜きには語れない。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、ヤスは原爆投下地点から約1.3㎞のところにあった純心高等女学校の校長として勤務していたが、その瞬間、爆風、熱風、火災によって倒壊・全焼し、214名の殉難学徒(女生徒)・教職員と多数の傷病者を出した。ヤス自身も防火壁の下敷きとなった重症を負った。一命を取り留めたヤスは、「私は原爆の後片付けをするために生き残らせていただいた」とその殉難学徒たちの供養のために生きる決心をする。そのヤスが教育事業の純心女子学園の復興とともに新たに社会福祉事業として創設したのが恵の丘長崎原爆ホームである。

 直接のきっかけは自身、長崎原爆病院で精密検査を受けるため検査入院をしていた最中、多くの原爆孤老たちの実態と厳しい現実を目の当たりにして「原爆孤老たちが安住できる生活の場」つくりを決意する。
 被爆者ホーム建設にあたり、ヤスが長崎市内から遠隔の地、深い森に覆われた三ッ山にこだわった理由が三点ある。第一は、三ッ山が戦前純心学園の疎開地であり、被爆後は多くの方々の支援によって復興の本拠地になった恵の場所であったこと。第二に、被爆者が原爆で「悪いガスを吸った」と不安がっており、癒されるには、美しい空気と緑深く、自然豊かな環境が必要であったこと、第三に、人間として真理に出会い、また、長期の準備をするためには静かな地が必要であった。

 実際には、ヤスは「被爆者ホーム」運営にあたって、次の七点の考えを根幹に置いた。第一に、「被爆者」のために施設であること。第二に、「被爆者」のための施設であること。第三に、殉難学徒および原爆死者の供養になるような施設であること。第四に、医療が受けられる生活施設であること。第五に、人生の最期を看取ることが可能な施設であること。第六に、福祉教育に貢献できる施設であること。第七に、核時代に生きる人々にアピールする施設であること等である。
 かくて、この丘(森)を「恵の丘」と名付け、「荒れた国土に緑の着物を着せましょう」との標語のもとに原爆孤老のための生活ホーム、「恵の丘長崎原爆ホーム」が開設されるのは10年後の1970年4月1日の事である。
「被爆者に最良の薬は社会の理解」といい、ヤスは社会の被爆者に対する偏見、差別に対して、それを打破したいとの思いが強く、また、「このホームは平和発信の拠点として反戦・反核を社会に示す役割を担うものである。この世に核兵器のある限り被爆者の声を、生き様を世界に発信しなければならない」と核の時代に社会に影響を与えることができるような世界に二つとないホームにしようと考えていた。

2012年6月現在、この世界最大の被爆者専用の特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」には定員の350名が入居。時の総理大臣が長崎の平和祈念式典後に必ず立ち寄る被爆者の聖域でもある。
※2012年7月現在、映画に登場する被爆者のうち、41名が亡くなった。

挿入曲「み母マリア」 Prends mon coeur le voilà

全編を通して流れるカトリック聖歌「み母マリア(みははまりあ)」は、被爆直後の長崎で、カトリックのシスターや学徒動員の女学生たちが、被爆の苦しみ、痛みの中で、励まし合い、祈るように、この聖歌を歌いながら亡くなっていったと伝えられている。

被爆マリア

日本におけるカトリックの聖地、浦上天主堂は爆心地から約0.5キロの地点にある。原爆投下によって、当時東洋一と謳われた天主堂は崩壊し、多数の信者や聖職者が犠牲となった。被爆から数ヶ月後、瓦礫の中から焼失したと思われていた木製のマリア像が発見される。焼け焦げ、水晶の目は失われ、首から上だけとなったマリア像はやがて「被爆マリア」と呼ばれ、復活と再生の象徴となる。被爆マリア小聖堂に安置されているが、年に一度、8月9日、長崎に原爆が投下された日、大聖堂に移され、ミサが捧げられる。

被爆医療研究

爆心地から約1キロの地点にある長崎大学の構内の一角、同大学院医歯薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設内に厳重な管理の下、病理標本保管室はある。そこには原爆投下直後より米国が調査収集した急性被爆症患者の病理標本5000件の臓器が眠っている。その標本を基に、「内部被ばくの人体に及ぼす影響」を調査研究を行っているが、原爆投下から60年以上たった今でも内部被爆により被爆者の標本の細胞が放射線を出し続けている事実は衝撃的だ。また、長崎大学と長崎大学病院では、被爆者から採取した血液を使って造血幹細胞を取り出し、長年に亘り、体内に残された放射線の影響を調べ続けている。

※本編で登場する造血幹細胞の研究の場面で、標本の顕微鏡映像において、細胞の中の多数のDNAの傷が赤い斑点で表示されているのは、医学の研究目的で人工的に大量の放射線を照射した結果、DNAに多くの傷が生じたためであり、通常に生活をしている被爆者の造血幹細胞のDNAとは異なる。

「核爆発により放出された放射線や放射性物質によって傷ついた遺伝子は生涯にわたってがんになる可能性がある」(長崎原爆病院・朝長万左男院長)。2011年3月に発生した東京電力福島第1原子力発電所事故による放射線流出の人体への影響が懸念されている。